新作能『長崎の聖母』が、東京新聞2015年8月7日朝刊に取り上げられました。
<能楽>能で「長崎の原爆」 惨状、平和の祈り 世界に発信
2015年8月7日
長崎の原爆をテーマに、悲惨な光景、平和や再生の願いを描く「長崎の聖母」という能の作品がある。シテ(主人公)に加え、演出も手掛ける観世流の清水寛二が折に触れて上演してきた。戦後七十年の今年は五月、米国公演を成功させ、十一月に長崎で開く核兵器廃絶を目指す「科学と世界問題に関する会議」(通称パグウォッシュ会議)の一環行事として上演も決まった。能で原爆の悲惨さと平和の祈りをどう表現するのか。 (藤浪繁雄)
通常の能舞台と異なり、老松が描かれた鏡板ではなく十字架が立つ。囃子方(はやしかた)や地謡も配置されるが、グレゴリオ聖歌が厳かに流れ、キリスト教文化も色濃い長崎の異国情緒が漂う。
長崎・浦上天主堂を訪ねた現代の巡礼者と天主堂の修道僧が、原爆犠牲者に祈りをささげていると、清水が演じる「女」が現れる。惨状を生々しく語る一方、聖母マリアの慈悲が鎮魂の思いを伝える。女は被爆した女性かマリアなのか-。観客の想像力をかき立てていく。
免疫学者で文筆家の多田富雄さん(一九三四~二〇一〇年)の作品。多田さんは広島の原爆や沖縄戦を扱った新作能も手掛けていて、「長崎」は“戦争三部作”の一つ。二〇〇五年浦上天主堂で初演した。
「光は六千度の熱を伴い。地獄の業火のごとく地上を襲えば」「人は石に影を刻まれて。形は消えてあともなし」…など、原爆の惨禍を表現。「破壊と争いの世を打ち捨てて。永久の命をともに与えられ」…とメッセージも添えている。
◇
「実験を除き、投下された原爆は長崎が最後。最後のままであってほしい」
清水はこんな思いで作品と向き合う。埋もれていた能の復活などに携わり、その縁で長崎の住民から「原爆の慰霊に関する能ができないか」と相談され、「生命を科学的に考えながら、文学的な感覚で表現する」多田さんに作品を依頼した。
五月に米ニューヨークとボストンで、初めての海外公演を成功させた。反核や平和を唱える長崎の人たちから「自分たちの声がうまく世界に伝わっていないのでは」と懸念する向きもあり、「悲惨さを誘うだけでなく、長崎の文化にも触れながらではどうか」と考えた舞台だった。
「現代の日本人には『能は難しい』とイメージされがちだが、米国人には『見てみたい』と純粋に興味を持ってもらったようだ」と清水。現代演劇に比べて、能は様式化され、舞台の設備も少ない。しかも、演目ではシテの「女」は能面を着け、表情も分からない。過去と現代の時空を超えた内容は、想像力が必要。それでも「訴えかけてくるものがあった」との感想が寄せられるなど観客の思いを感じた。「被爆した女性=聖母マリア」ともとれる解釈にも批判はなかったという。
米では約一時間半の作品を約五十分に短縮。パグウォッシュ会議(十一月一~五日、長崎市内)の一環でも短縮版を披露する。平和への思いだけでなく、能の魅力を世界に発信できる好機。「外国の人たちにも通用する能。今後は若手の能楽師たちにも上演してもらいたい」。その目は世界を見据える。
<パグウォッシュ会議> 正式名は「科学と世界問題に関する会議」。哲学者ラッセルと物理学者アインシュタインらが戦争と核兵器の廃絶を訴えた1955年の「ラッセル・アインシュタイン宣言」をきっかけに始まった国際科学者会議。第1回は57年にカナダ・パグウォッシュで開催され、軍縮や国際平和問題を討議している。95年にノーベル平和賞。日本では広島市で2度開催された。
元の記事はこちら(外部リンク)
<能楽>能で「長崎の原爆」 惨状、平和の祈り 世界に発信
2015年8月7日
長崎の原爆をテーマに、悲惨な光景、平和や再生の願いを描く「長崎の聖母」という能の作品がある。シテ(主人公)に加え、演出も手掛ける観世流の清水寛二が折に触れて上演してきた。戦後七十年の今年は五月、米国公演を成功させ、十一月に長崎で開く核兵器廃絶を目指す「科学と世界問題に関する会議」(通称パグウォッシュ会議)の一環行事として上演も決まった。能で原爆の悲惨さと平和の祈りをどう表現するのか。 (藤浪繁雄)
通常の能舞台と異なり、老松が描かれた鏡板ではなく十字架が立つ。囃子方(はやしかた)や地謡も配置されるが、グレゴリオ聖歌が厳かに流れ、キリスト教文化も色濃い長崎の異国情緒が漂う。
長崎・浦上天主堂を訪ねた現代の巡礼者と天主堂の修道僧が、原爆犠牲者に祈りをささげていると、清水が演じる「女」が現れる。惨状を生々しく語る一方、聖母マリアの慈悲が鎮魂の思いを伝える。女は被爆した女性かマリアなのか-。観客の想像力をかき立てていく。
免疫学者で文筆家の多田富雄さん(一九三四~二〇一〇年)の作品。多田さんは広島の原爆や沖縄戦を扱った新作能も手掛けていて、「長崎」は“戦争三部作”の一つ。二〇〇五年浦上天主堂で初演した。
「光は六千度の熱を伴い。地獄の業火のごとく地上を襲えば」「人は石に影を刻まれて。形は消えてあともなし」…など、原爆の惨禍を表現。「破壊と争いの世を打ち捨てて。永久の命をともに与えられ」…とメッセージも添えている。
◇
「実験を除き、投下された原爆は長崎が最後。最後のままであってほしい」
清水はこんな思いで作品と向き合う。埋もれていた能の復活などに携わり、その縁で長崎の住民から「原爆の慰霊に関する能ができないか」と相談され、「生命を科学的に考えながら、文学的な感覚で表現する」多田さんに作品を依頼した。
五月に米ニューヨークとボストンで、初めての海外公演を成功させた。反核や平和を唱える長崎の人たちから「自分たちの声がうまく世界に伝わっていないのでは」と懸念する向きもあり、「悲惨さを誘うだけでなく、長崎の文化にも触れながらではどうか」と考えた舞台だった。
「現代の日本人には『能は難しい』とイメージされがちだが、米国人には『見てみたい』と純粋に興味を持ってもらったようだ」と清水。現代演劇に比べて、能は様式化され、舞台の設備も少ない。しかも、演目ではシテの「女」は能面を着け、表情も分からない。過去と現代の時空を超えた内容は、想像力が必要。それでも「訴えかけてくるものがあった」との感想が寄せられるなど観客の思いを感じた。「被爆した女性=聖母マリア」ともとれる解釈にも批判はなかったという。
米では約一時間半の作品を約五十分に短縮。パグウォッシュ会議(十一月一~五日、長崎市内)の一環でも短縮版を披露する。平和への思いだけでなく、能の魅力を世界に発信できる好機。「外国の人たちにも通用する能。今後は若手の能楽師たちにも上演してもらいたい」。その目は世界を見据える。
<パグウォッシュ会議> 正式名は「科学と世界問題に関する会議」。哲学者ラッセルと物理学者アインシュタインらが戦争と核兵器の廃絶を訴えた1955年の「ラッセル・アインシュタイン宣言」をきっかけに始まった国際科学者会議。第1回は57年にカナダ・パグウォッシュで開催され、軍縮や国際平和問題を討議している。95年にノーベル平和賞。日本では広島市で2度開催された。
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