原爆が広島・長崎に落ちてから70年たちました。しかし、いまだ核兵器はなくならず、世界に争いも絶えず、被爆者の方々の心も癒されません。
長崎の原爆の能『長崎の聖母』(作・多田富雄、演出・清水寛二)を、今回用構成版にて、アメリカ・ニューヨーク及びボストンで上演いたします。
この作品は2005年長崎・浦上天主堂においての初演(主催長崎純心学園・浦上天主堂)以来各地で上演を続けて参りましたが、長崎の方々よりの「国連の5年ごとのNPT(核拡散防止条約)再検討会議に向け、アメリカの市民の方々へ平和を訴える活動の一環として、ニューヨークにてこの能を上演したい」という提案を受け、100年以上もの間ニューヨークで日本文化を発信しているジャパン・ソサエティが、戦後70年にあたり戦争を考えるという今シーズンのプログラムの中に三日間の『長崎の聖母』公演を組み、戦によって引き裂かれた一組の夫婦を描く世阿弥作の名作『清経』を併演して、古今の作品を以って人間にとっての戦争を考える企画となりました。
またアメリカ合衆国建国の都市ボストンでは、同じ多田富雄作の新作能『一石仙人』(アインシュタインが相対性理論を説き、核を戦に使用するべからずと言う)を上演すべく、2007年以来美術館や大学などで能のワークショップを重ねてきました。『一石仙人』の上演には至りませんでしたが、今回ここでも多くの方々のお力により『長崎の聖母』を上演する運びとなりました。
『長崎の聖母』の舞台・浦上天主堂は、近代になっての激しい弾圧を経て建てられ、そして原爆で破壊されました。再建された御堂では、今も人々が平和のため祈り歌っています。この能の中ではグレゴリオ聖歌が歌われますが、今回ニュ-ヨーク・ボストンそれぞれに現地の教会の聖歌隊の皆さんが歌ってくれます。
長崎では、町衆の祭礼「おくんち」で有名な諏訪神社において、長崎を言祝ぐ能『諏訪』を江戸時代毎年上演していましたが、江戸末期以来絶えていました。実は、その『諏訪』の復活上演(1997年)の時の長崎市民の方の「原爆の能はできんとやろか?」という声が、この『長崎の聖母』を作るきっかけになりました。そして今回は特別な計らいで、諏訪神社に江戸時代より伝わる能面が、教会に現れる被爆者の霊(あるいは聖母マリアか)の役のために、初めて海を渡ります。
近代文明の果て、原爆の落ちた悲惨な実際の光景は、能では到底再現できるものではありません。しかし、個の命を慈しむという思想に包まれている能によってあらわされる世界があるはずです。
公演のほかに、いくつか能のワークショップも行い能の魅力の紹介もしてまいりますので、多くのアメリカの市民の方々・若い方々に、『長崎の聖母』や能にふれて頂きたいと思います。日本からも見に来てください。そして、応援してください。お待ちしています。
清水 寛二
長崎の原爆の能『長崎の聖母』(作・多田富雄、演出・清水寛二)を、今回用構成版にて、アメリカ・ニューヨーク及びボストンで上演いたします。
この作品は2005年長崎・浦上天主堂においての初演(主催長崎純心学園・浦上天主堂)以来各地で上演を続けて参りましたが、長崎の方々よりの「国連の5年ごとのNPT(核拡散防止条約)再検討会議に向け、アメリカの市民の方々へ平和を訴える活動の一環として、ニューヨークにてこの能を上演したい」という提案を受け、100年以上もの間ニューヨークで日本文化を発信しているジャパン・ソサエティが、戦後70年にあたり戦争を考えるという今シーズンのプログラムの中に三日間の『長崎の聖母』公演を組み、戦によって引き裂かれた一組の夫婦を描く世阿弥作の名作『清経』を併演して、古今の作品を以って人間にとっての戦争を考える企画となりました。
またアメリカ合衆国建国の都市ボストンでは、同じ多田富雄作の新作能『一石仙人』(アインシュタインが相対性理論を説き、核を戦に使用するべからずと言う)を上演すべく、2007年以来美術館や大学などで能のワークショップを重ねてきました。『一石仙人』の上演には至りませんでしたが、今回ここでも多くの方々のお力により『長崎の聖母』を上演する運びとなりました。
『長崎の聖母』の舞台・浦上天主堂は、近代になっての激しい弾圧を経て建てられ、そして原爆で破壊されました。再建された御堂では、今も人々が平和のため祈り歌っています。この能の中ではグレゴリオ聖歌が歌われますが、今回ニュ-ヨーク・ボストンそれぞれに現地の教会の聖歌隊の皆さんが歌ってくれます。
長崎では、町衆の祭礼「おくんち」で有名な諏訪神社において、長崎を言祝ぐ能『諏訪』を江戸時代毎年上演していましたが、江戸末期以来絶えていました。実は、その『諏訪』の復活上演(1997年)の時の長崎市民の方の「原爆の能はできんとやろか?」という声が、この『長崎の聖母』を作るきっかけになりました。そして今回は特別な計らいで、諏訪神社に江戸時代より伝わる能面が、教会に現れる被爆者の霊(あるいは聖母マリアか)の役のために、初めて海を渡ります。
近代文明の果て、原爆の落ちた悲惨な実際の光景は、能では到底再現できるものではありません。しかし、個の命を慈しむという思想に包まれている能によってあらわされる世界があるはずです。
公演のほかに、いくつか能のワークショップも行い能の魅力の紹介もしてまいりますので、多くのアメリカの市民の方々・若い方々に、『長崎の聖母』や能にふれて頂きたいと思います。日本からも見に来てください。そして、応援してください。お待ちしています。
清水 寛二